金澤利翼さんを調べ始めて、最初に印象が変わった
金澤利翼さんについて調べ始めたとき、私は正直に言えば「高齢でも鍛えているすごいボディビルダー」という、やや平面的なイメージを持っていました。ところが資料を追うほど、その見方はまったく足りなかったと感じました。広島トレーニングセンター会長であり、日本ボディビル選手権で2度優勝、世界選手権4位、日本マスターズでも長年結果を残してきた実績者であることはもちろんですが、それ以上に強く残ったのは、幼少期の欠乏、水泳での挫折、独学の試行錯誤、50歳からの再起といった「体験の積み重ね」でした。単なるレジェンド紹介では、この人の本当の魅力は伝わりません。 (HTCジム)
公式プロフィールでは、山口県出身、広島トレーニングセンター&プロショップ会長、日本ボディビル・フィットネス連盟公認指導員、広島県ボディビル・フィットネス連盟顧問とされています。1960年と1963年に日本ボディビル選手権優勝、1967年と1969年には世界選手権4位。さらにマスターズでも複数回優勝し、現在も最高齢日本チャンピオンとして紹介されています。競技実績だけを見ても十分に大きな人物ですが、検索している人が本当に知りたいのは、おそらく「なぜそこまで続けられるのか」「何を食べ、どう生きてきたのか」という部分でしょう。私自身も、結局そこがいちばん気になって読み進めました。 (HTCジム)
戦争体験が、金澤利翼さんの土台をつくった
資料の中で最も胸に残ったのは、幼少期の戦争体験です。VITUP!のインタビューでは、食べ物がなく、団子汁やかぼちゃ、白いご飯を涙を流しながら食べていたと本人が振り返っています。近所の畑に忍び込んで叱られたこともあったといい、そのひもじさがハングリー精神の源になったのではないかと語っています。私はこの部分を読んだとき、金澤さんの強さを「精神論」で片づけてはいけないと思いました。努力できる人、続けられる人の背景には、若い頃の成功談だけではなく、どうしようもない時代を生き抜いた記憶があるのだと感じたからです。 (Web Magazine VITUP! [ヴィタップ])
この体験は、のちの競技人生とも自然につながっています。終戦後、高校時代に“フジヤマのトビウオ”古橋廣之進さんの泳ぎを見て、自分も1500メートル自由形で日本一になり、オリンピックに行きたいと強く思ったそうです。ただ、足首の硬さもあり、水泳では限界を感じるようになります。上半身は発達した一方で、水泳向きではないと悟った。その挫折が、次の挑戦につながっていく流れが実に印象的です。成功した人の話は華やかな結果だけが切り取られがちですが、金澤さんの物語は、まず「思うようにいかなかった体験」から始まっている点に説得力があります。 (Web Magazine VITUP! [ヴィタップ])
水泳の挫折から、ボディビル日本一へ向かった執念
金澤さんがボディビルに本格的に向き合ったのは20歳のころです。広島トレーニングセンターの紹介によれば、20歳までは競泳1500メートルの選手として活躍し、補強運動として始めたボディビルに魅了され、1日6時間のトレーニングを続けた結果、3年後には日本選手権初出場で3位、その後優勝にまでたどり着きました。数字だけ読めば華々しいサクセスストーリーですが、ここで私が特に惹かれたのは、情報が乏しい時代に、独学でここまで上り詰めた点です。 (HTCジム)
関連報道では、当時は今のような本格的なジム環境がなく、セメントを固めてダンベルやバーベルを自作し、鍛えていたことも紹介されています。さらに、英語の筋トレ雑誌を辞書で引きながら読み込み、岩国基地のジムで器具の使い方も学んだと伝えられています。私はこのエピソードを見て、金澤さんの凄みは筋肉そのものより、「知らないから学ぶ」「ないなら作る」という姿勢にあると感じました。現代は情報があふれていますが、だからこそ逆に手が止まりやすい。そんな時代に生きる私たちにとって、環境の不足を言い訳にしないこの行動力は、かなり重く響きます。 (THE ANSWER スポーツ文化・育成&総合ニュース・コラム)
一度離れた競技に、50歳で戻った体験がいちばん人を惹きつける
金澤利翼さんの記事を読んでいて、最も人の心を動かすのは、若き日の優勝よりもむしろ「50歳からの復帰」ではないかと思いました。THE ANSWERでは、34歳で一度競技を離れた後、50歳でカムバックした理由として、「腹は出る。腕は細くなる。これがかつてのチャンピオンの姿か」と、衰えた自分の体に衝撃を受けたことが紹介されています。ここには、年齢を重ねた人ならではの切実さがあります。若さの勢いではなく、自分の変化を直視したうえで、もう一度作り直そうと決めた。その体験があるからこそ、今の言葉には重みが出るのだと思います。 (THE ANSWER スポーツ文化・育成&総合ニュース・コラム)
そして復帰後、7年かけて体を作り直し、日本マスターズで優勝へ至ります。広島トレーニングセンターの紹介では、現在までに日本一に17回輝いたと案内され、2025年の報道では89歳で85歳以上級を制し、通算18度目の日本一と伝えられています。数字は十分にすごいのですが、それより私が価値を感じるのは、「もう遅い」と思いがちな年齢からでも、人は変われるという現実味です。金澤さんの体験は、単にボディビルの話ではなく、仕事でも健康でも、人生の立て直し全般に通じる話として読めるのです。 (HTCジム)
食事の話を読むと、金澤利翼さんの価値観がよくわかる
検索ユーザーが特に気にしやすいのが食事法でしょう。実際、複数の取材記事で、金澤さんは50歳以降、肉や魚を控え、玄米ご飯、納豆、味噌汁を軸にした食生活を続けていると紹介されています。VITUP!では「基本的には50歳から肉、魚、牛乳、ヨーグルトなどを食べていなくて、1日3食、玄米と納豆と味噌汁をベースにしている」と本人が語り、不足分はプロテインやマルチビタミン、オメガ3脂肪酸などで補っていると説明しています。デイリースポーツでは、朝食に玄米ご飯、納豆、味噌汁、昼食と夕食は玄米ご飯と納豆が基本だと具体的に紹介されています。 (Web Magazine VITUP! [ヴィタップ])
ただ、私がここで面白いと思ったのは、食事内容そのものよりも、その選び方です。本人は「胃腸の調子を整えることに重点を置いている」と話し、戦時中から見てきた質素な食事の老人たちが病気ではなく老衰で亡くなる姿に、健康のヒントがあるのではと考えたそうです。またTHE ANSWERでは、「日本人には日本の食事が一番いい」という美学も語っています。つまり金澤さんの食事は、流行を追ったメニューではなく、長い人生経験のなかで「自分に合う」と判断して絞り込んだスタイルなのです。ここに私は強く引かれました。誰かの正解を借りるのではなく、自分の体感から生活を組み立てている。だから続くし、言葉にも芯があるのだと思います。 (Web Magazine VITUP! [ヴィタップ])
毎日12時間働き、2時間だけ鍛える生活に本質がある
FNNの取材では、金澤さんはジムの事務処理や清掃などで毎日12時間働き、夕方の2時間だけ自分のトレーニングに充てていると伝えられています。これを約60年間続けてきたという記述を読んで、私は「特別な人だからできる」というより、「日常の形そのものが強い人なのだ」と感じました。世の中では、強い人は意志が強いから続けられると言われがちですが、実際には、やることが生活に組み込まれている人の方が続くのだと思います。金澤さんの凄さは、競技の舞台に立つ瞬間だけではなく、誰にも見られていない毎日の繰り返しにあります。 (FNNプライムオンライン)
年齢とともに回復が遅くなるため、近年は1日に1部位ずつ鍛える工夫もしていると報じられています。若い頃と同じことを無理に続けるのではなく、今の体に合わせてやり方を変えていく。その柔軟さもまた、長く続ける人の条件なのだと感じます。根性だけで押し切る話ではなく、年齢を受け入れながら、その年齢で勝てる方法を探している。ここに、長寿アスリートとしての本当の知恵があります。 (FNNプライムオンライン)
なぜここまで現役にこだわるのか
金澤さんは、少なくとも90歳までは現役を続けたい、さらに130歳まで生き抜いて世界記録を作りたいと語ってきました。2024年のFNNでは「90歳まで現役を貫こうと思っている」と話し、THE ANSWERでは「130歳まで生き抜いて、世界記録を作りたい」と目標を明かしています。2025年の報道では、85歳以上級で優勝したあとも「93歳までは現役でやるつもり」とコメントしています。私はこの言葉を読んで、単なる自己記録更新ではないのだろうと感じました。本人は過去の取材で、「おじいさん、おばあさんに頑張ったらこうなる、健康でいられると証明したい」とも述べています。つまり挑戦の目的が、自分だけで閉じていないのです。 (FNNプライムオンライン)
この「証明したい」という感覚は、金澤利翼さんという人物を理解するうえで欠かせません。勝ちたいだけなら、とっくにやめても不思議ではない年齢です。それでも続けるのは、人生全体を通して、努力の意味を社会に示したいからではないでしょうか。私が関連記事をいくつも読み比べていて感じたのは、金澤さんの言葉には一貫して「見せたい」「伝えたい」があることでした。自分の体を通して、人は年齢だけでは決まらないと示したい。その思いが、ここまで長く競技を支えているように見えます。 (FNNプライムオンライン)
亡き妻への思いまで知ると、人物像がさらに深くなる
FNNの取材では、亡き妻を思う発言も紹介されています。表彰されるたびに「天国の奥さんも喜んでいるかな」といった趣旨で語る場面があり、そこに私は強い人間味を感じました。長く競技を続ける人の背景には、必ず支えてくれた人の存在があります。記録や筋肉だけを追う記事では、この大切な部分がこぼれ落ちてしまうでしょう。金澤さんの場合、競技人生は栄光の歴史であると同時に、家族との時間、喪失、それでも前に進む気持ちの歴史でもあるのだと思います。 (FNNプライムオンライン)
デイリースポーツでも、妻を亡くしてから一人暮らしを続け、自分で食事を作り、会員指導をし、週末は掃除や洗濯をこなし、映画館で洋画を見て英語の勉強までしている生活が紹介されています。私はこの部分を読んで、「現役ボディビルダー」という肩書きの中身が、ようやく現実の生活として見えてきた気がしました。特別なサポートに囲まれた生活ではなく、自分の暮らしを自分で回しながら、毎日を積み重ねている。その地道さにこそ、読者が学べる要素があります。 (デイリースポーツ)
金澤利翼さんとは何者か、私なりの結論
金澤利翼さんとは何者か。この問いに対して、今の私は「高齢の現役ボディビルダー」という一言では足りないと答えます。戦争による空腹を知り、水泳の夢に破れ、独学で道を切り開き、一度競技を離れても50歳から体を作り直し、質素な食事と日々の習慣を貫きながら、なお現役を続ける人。言い換えれば、金澤利翼さんは、筋肉で有名になった人というより、体験そのものが説得力になっている人です。 (Web Magazine VITUP! [ヴィタップ])
検索で名前を知って気になった人は、ぜひ実績だけで終わらせず、その背景にある人生まで見てほしいと思います。私自身、調べる前は「すごい高齢アスリート」という理解でしたが、読み終えた今は、「年齢に抗う人」ではなく「年齢ごと生き方に変えてきた人」だと受け止めています。だからこそ金澤利翼さんは、ただのレジェンドでは終わらない。これから先も、挑戦の象徴として名前を検索され続ける人物なのだと思います。 (FNNプライムオンライン)



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